年齢にとらわれず 心豊かに暮らそう!^^

音楽豆知識 父親 売り込み合戦の巻っ!モーツァルト・ベートーヴェン

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ようこそ!「どらみあん」の庵主、どらみこと、柴垣節子です。 音楽×英会話のコラボ仕事を20年以上続けてきました。 新型コロナで世界が変わり・・ もう一度 自分を見つめ直した結果、 私の原点、音楽に大好きな花や自然、写真を掛け算して 動画作りなど、新しいチャレンジも始めました。 ♪ 41歳、突然の心筋梗塞であわや!の危機。 大病して以来、毎朝、命あることに感謝。 一日を大切に、心こめて全力で生きる!がモットーです。 年齢を重ね、いろいろ乗り越えて、人生経験値は かなり高くなりました。 老後という言葉も、不安も吹き飛ばして笑顔で生きたい。 年齢や持病をいいわけにせず、 音楽、花、写真など 私にできることで、 あなたの人生を豊かにするお手伝いいたします。^^
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息子が天才と気づいた モーツァルトの父 レオポルド

🎵 こんにちは、どらみです!

🎵 有名な話なので、ご存じの方も多いかと思いますが・・・

🎵 オーストリア ザルツブルグ(Salzburg)に生まれ、35年という短い生涯を、ウィーン(Wien)で終えた、天才 W.A.Mozart

(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト)

🎵その音楽の才能を見抜いたのは、ほかならぬ父親(自身、音楽家、教育者でもあった)Leopold Mozart (レオポルド・モーツァルト)でした。

 

🎵父の レオポルド・モーツァルト(Leopold Mozart)は、

音楽とは関係ない、職人さん家系の家に生まれ、

 

大学進学して、法律、哲学を学ぶはずが、

大好きな音楽にのめりこみ・・・退学しちゃったんです、大学。

 

🎵以後、音楽家(薄給の宮廷雇われ音楽家)として生きた人ですが、現代でいえば、めっちゃ 教育パパでもあり、
「息子を売り込んで、ついでに 自分の次の就活も目論む」

 旅する プロモーターでもあったのです(^^;)

 

🎵28歳で結婚して、7人の子どもをもうけるも、
成人できたのは、ナンネル(アマデウスの姉)と、天才、アマデウスの二人だけだったそうです。
🎵 3歳頃に 息子の音楽才能が ふつーではないことに気づいた

パパ、レオポルドは 音楽家(演奏、作曲)としての自分の夢、理想を 息子のアマデウスに託そうとしたのです。

 

🎵 レオポルド自身、当時としては すぐれたヴァイオリン奏者でもあり、1756年には、必ずしもプロ奏者目指さない ブルジョア階級の人たちも対象にした ヴァイオリン🎻教則本なども 出版しています。音楽教則本の出版は この当時 斬新なことでした。

 

🎵【レオポルド・モーツァルトの格言】

「詩と音楽は 大変重要な結びつきをもつ。 ことばがなくても、詩の韻律や抑揚は メロディーの中に生きている。

 

音楽は風俗や人情を表す 言葉と同じはたらきをもつ」

 

 

 

素晴らしい息子に 最高の音楽環境を与えたい!


🎵 パパ、レオポルドは、息子のアマデウスを、当時の全領域の音楽を経験させたいと思い、より良い環境に連れていくことに専念。

 
🎵 3歳からチェンバロ(バロック時代から使われている 撥弦はつげん=フック(鉤)で弦をひっかけて音を出す鍵盤楽器)を パパはアマデウスに きっちり教え込み・・・
 
🎵 天才 アマデウスくんは、あっという間に、目隠ししても

弾けちゃうくらいの腕前に。。

 

🎵 何と 6歳の時、ザルツブルグから すでにウィーンなどへ
連れ出し始め、
9歳まで、3年近い 大規模な演奏旅行に連れ歩きます。
マンハイム(独)→パリ(仏)→ ロンドン(英)

これだけでも すごい!

🎵 ゆく先々で、我が息子の神童ぶりを披露し、息子のアマデウス君は

「神童」だ! と大絶賛、喝采を浴びるのですが、

パパが期待していたほど 報酬は多くなく・・・

 

🎵 パパ、レオポルド、 息子を旅に連れ出しながら、

自分の「就活」をもくろんでもいたのです。^^;

 

🎵 この時代は、まだ音楽家・・→宮廷や貴族、教会などに「雇われる身分」

レオポルドパパは、神童息子に乗じて(?)
自分も、もう少し良い条件で 雇ってくれる先を探していたのですが、

ことごとく 就活、うまくいかないパパ。がっくり!

 

🎵 時々もらえる仕事は期待の大きさに反して・・・
あんまり 報酬金額、高くない・・😭  ガーーン!

 

 

旅から旅へ・・・有名なモーツァルト、エピソードの数々

🎵多感で 音楽に関しては まさに神がかり的な 吸収力を持っていた アマデウスくん。

演奏旅行先々で、いろいろな影響を受けていきます。

ウィーンでは 6歳のアマデウスくん、シェーンブルン宮殿、女帝 マリア・テレジアの前で御前演奏。

 

🎵 この時、後のマリー・アントワネット(7歳)の前で
滑って コケてしまい・・・彼女が手を差し伸べてくれた時、
「大きくなったら、僕のお嫁さんにしてあげる」と言い放った逸話は めちゃ有名!

 マセた坊やです😆💗

🎵 けれど、ヨーロッパ遠征を 何度も繰り返している間に、

パリ滞在中、交響曲(のちに「パリ」と命名された 31番)を完成させるも、 同行していた ママ マリアがパリで逝去。

🎵 その後も 名作を次々と作曲するも、報酬はわずかで、

次第に 借金が雪だるまのように増えていくばかり・・・

🎵 現在では、名作、珠玉の作品を 各分野で作曲しているのに、
浪費癖もあり、借金と貧困の中、35歳で亡くなる年には、名作、オペラ『魔笛』を書き、

 最後の作品(名作、「レクイエム(鎮魂歌)」を作曲中に病床に伏せったそうです。

 

🎵 35歳の若さで病気のため逝去。

🎵 借金にまみれ、

  モーツァルトが亡くなった後も、妻のコンスタンツェは、

お金を集めるための 演奏会を 企画しては 借金返済にあてていたそうです。

 

🎵 あれだけ名作を作曲し、演奏もクラヴィーア(今のピアノの前身、鍵盤楽器)、ヴァイオリン・・・素晴らしかったのに。。

🎵 天才、神童の名を ほしいままにした アマデウス君も、

35年間の生涯を閉じるまで しあわせいっぱいの人生・・・ではなかったですね。

🎵 美しい作品は 後に続く音楽家のみならず、世界中の人々に愛され続けているのを

天国から観ているでしょうか? ✨

スパルタ教育+酒びたりの父、ヨハン・ベートーヴェン

 

🎵モーツァルト 21歳、1770年の暮れ、ドイツで

L.V. Beethoven が誕生しました。

 

🎵 こちらの ベートーヴェンファミリーは といえば・・・

 

🎵 祖父の ルィードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(孫、いわゆる ベートーヴェンと 同名)は、
非常に優秀、高名な音楽家で、

周囲に尊敬されている人物でした。

 

🎵 パパ、ベートーヴェン、ヨハン・ベートーヴェンは、
テノール歌手でしたが、

自分の父ほどの才能がなかったようです。

 

🎵 しか~~し、息子の ルィードヴィッヒが生まれると、
モーツァルトのパパ、レオポルドと同様、

早くから 息子の音楽の才能が ただならぬことを悟ります。

 

🎵 で・・・どうしたかというと、
ひじょーに カンタンにまとめると、
自分の息子、ルィードヴィッヒ(ベートーヴェン)も、

アマデウス・モーツァルトと同じように 売り込もうとしたのです^^;

 

🎵 幼い ルィードヴィッヒにクラヴィーア(→のちに現代のピアノに近い改良が施されていく)を スパルタ教育で 叩き込むように教え(きょーふの 音楽教育💦)、

8歳で 息子をデビューさせたのです。

 

🎵 モーツァルトのパパ、レオポルドと違うのは、

ベートーヴェンのパパ、ヨハンは、無類の酒好き! だったこと🍷

 

🎵 息子が演奏して、報酬を得ると、パパは そのお金で

ほとんど 「🍷を飲んでしまう!」

過度の飲酒は よろしくありませんね~💦

 

🎵 ルィードヴィッヒの祖父が生きていた頃は、祖父の収入で
一家の生計は安泰だったのに、

おじいちゃんが亡くなると(ルィードヴィッヒ・ベートーヴェン、まだ幼い頃)、

 

パパ、ヨハンは 相続したおじいちゃんの遺産も、10年くらいで ほとんど浪費(お酒を飲んじゃう!)してしまい、

その後は 経済的に苦しくなっていきます。

 

🎵ルィードヴィッヒは12歳くらいから、ネーフェという すぐれた ピアノ教師の指導のおかげで、J.S.Bach バッハの作品なども 弾きこなすようになり、

巷では、「第二のモーツァルト 再来か?」 という噂も立つほど・・・

 

🎵 けれど、ベートーヴェン(ルィードヴィッヒ)の才能は、

やはり アマデウス・モーツァルトには 及ばず・・・

 

🎵 ダメ親爺、ヨハンは アルコール依存症と うつ病。
母親は肺結核で病死。👼
🎵ふたりの弟たちを、ルィードヴィッヒは 自らの音楽活動を通して 支えていく役目も負うことになりました。
 

🎵 ベートーヴェンの 難聴(32歳)・・・その後の人生などは、

ご存じの方も多いと思いますが・・

 

🎵耳が聴こえづらくなってから後の方に(作品は前期、中期、後期、という 分類されることが多いです)、
各分野で すぐれた作品が多いことに 驚くばかりです。

ふたりの天才息子 + ふたりの父親


🎵 17-18世紀、音楽では「古典派」(L.V.Beethoven は 古典派から次の時代への 架け橋的存在)

  を代表する 大天才、W. A. Mozart  ,  L. V. Beethoven。

🎵 ふたりが逝去してから 数百年が経った 21世紀の現在でも、
  彼らの音楽は 色あせることなく、不朽の名作として、光り輝き続けています。

🎵 けれど、人生のスタートで「父親」に 音楽の才能を見出された、という

  共通点がありながら、大天才ふたりの人生は、それぞれ 想像しがたい苦しさも

  抱えることになりました。 ちょっと現代目線で ふたりの父親を見てしまうと・・・

 息子には 重荷になる パパたちだったかもしれませんね(私見です^^;)

🎵  ベートーヴェンのパパは 息子の稼ぎで飲んじゃう🍷

   のんべー(というかアルコール依存症レベル) + 晩年は うつ病も。

🎵 モーツァルトのパパは 息子の天才ぶりを 各地でアピールしながら、
自分の就活を試みるも、 ほぼほぼ失敗 ↘

 

まとめ

🎵作曲家ひとりひとり、作品ひとつずつを

深堀りしていくと、

ちょいと 敷居が高そうにみえる いわゆる「クラシック音楽」も、

へぇ~ そんな話もあるのか・・・

🎵 美術や文学などと同じように、

少し 見かた、聴き方が 変わるかもしれませんね。

🎵 今日は 古典派(いわゆる クラシック音楽)時代の大作曲家・・・
 そんなふたりの息子たちのパパは、

 こんな人だった、というエピソードを カンタンにまとめてみました。

🎵 ちょっと イメージ崩れちゃうかもしれないけど^^;

こういう話の方が 記憶に残ったりするんですよね~(って、私自身が そうなんです^^💦

🎵 最後まで ごらんいただき、どうもありがとうございました。

 それではまた! See You ! 🎶

 







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ようこそ!「どらみあん」の庵主、どらみこと、柴垣節子です。 音楽×英会話のコラボ仕事を20年以上続けてきました。 新型コロナで世界が変わり・・ もう一度 自分を見つめ直した結果、 私の原点、音楽に大好きな花や自然、写真を掛け算して 動画作りなど、新しいチャレンジも始めました。 ♪ 41歳、突然の心筋梗塞であわや!の危機。 大病して以来、毎朝、命あることに感謝。 一日を大切に、心こめて全力で生きる!がモットーです。 年齢を重ね、いろいろ乗り越えて、人生経験値は かなり高くなりました。 老後という言葉も、不安も吹き飛ばして笑顔で生きたい。 年齢や持病をいいわけにせず、 音楽、花、写真など 私にできることで、 あなたの人生を豊かにするお手伝いいたします。^^
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