天才早熟早死型の音楽家☆その3 ショパンの巻っ!
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天才早熟 早死に型音楽家☆3人目は ピアノの詩人 ショパン
🎵 こんにちは どらみです!
🎵 音大では、西洋音楽史と日本音楽史 両方必修でした。西洋音楽史の先生、おもしろかった。
🎵 卒業後、ハンガリー留学した際は、「音楽史」という授業はありませんでした。
音楽史は 自動的にというか あらかじめ自然に組み込まれていたのです。
🎵 だから、常に これは いつ頃の音楽で・・・
作曲者、演奏者は どんな人だったか? という エピソードも ふつーに先生と
授業中に語り合うので(英語で^^;) 特別なことではなくなりました。
全く知らなかった歌でも、へぇ~ そういうこともあったんだ!
驚くことが、どー-------っさりありました。
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🎵 今、この年齢になり(私が^^;)、音楽の個人レッスンも グループレッスンもしておらず・・・
アタマの中に埋もれている 知識や ちょっと面白い(かもしれない?) エピソードなど、 気軽にお伝えたらいいな、という気持ちです。
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ショパンは ふたつの名前を持っていた
🎵 ショパンの肖像画も いろいろありますね。 ⇓ 少々 虚弱体質の雰囲気
🎵 ショパンは、父親がフランス人、母がポーランド人でした。
二つ異なる読みの 名前があります。
生年月日が 1809年3月1日説と、 1810年 2月22日説、のいずれか・・・と 二説あるんです。
ナゾも秘めた 天才音楽家。
ワルシャワ近くで誕生。
上手さが ふつーでないっ!
パリのサロン スーパースター
🎵 皆さん、ご存じのように
偉大な功績を遺した人ですよね。
🎵 1830年、ショパン 20歳頃、ワルシャワを出て、ウィーン方面から ヨーロッパ各地で演奏旅行を・・・と 出発したところ、
まず7月にパリで7月革命が勃発。
深く絶望したそうです。
ショパンは 父の祖国、フランス パリに向かい、39歳の生涯を閉じるまで、パリを拠点にして過ごします。
(エチュード=Etude 練習曲の意 ・・・が、ショパンのエチュードは 練習曲の域を超えた 芸術作品。別れの曲、木枯らし・・・タイトルがついていなくても 素晴らしい ピアノ作品の宝庫)
そして10年間 恋人となる ジョルジュ・サンド(男性的な文学家・・ジョルジュサンドは ペンネーム)との出会いも。
いわゆる ショパンらしい 典型的 ロマン派音楽を量産しました。
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ダンパーペダル(踏むと 音を長く響かせる・・・今のピアノにも 標準仕様でついていますよね)が 使えるようになっていました。
新しい音色、ハーモニーを次々と生み出していきました。
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書き留めるのが大変なくらい、自分の中から 音楽が 湧き出てきて・・・ それを 譜面に書けば 作曲→作品ができるタイプ、と 紹介しました。
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彼も モーツァルトやシューベルトと同様・・と 思うのですが、
「工夫して、ひねり出して、結構苦労して」 あの美しい音楽を作っていたのだそうです。
🎵 シューベルトは31歳で亡くなるまでの間に、「歌曲」だけでも 600曲以上書いていて、その他にも 室内楽やピアノ曲、宗教曲など たー---------くさん書いています。
作った 音楽家だったのですね。
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🎵 ⇓ ショパンの逝去後 すぐに型取り、復元された ショパンの「手」
手のひらが大きく やはり指が長いです^^
ピアノと共に
🎵 ショパン 自筆譜面 (エチュード 3番 「別れの曲」冒頭) ⇓ (パデレフスキー版楽譜)🎵 ショパンといえば、その独自の旋律の美しさ。
雰囲気・・・
2度目、3度目に同じ旋律が出てくる時、ピアノで 水玉をポロポロポロ・・・と転がすような 装飾音がほどこされていることが とても多いのです。
ポリフォニー(polyphony) → 横の音楽 風な要素も 多分に含んでいます。
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呼吸するように・・・一定ではないのです。
想いのままに、流れるように、時に すすり泣くように・・・
オーケストラ伴奏で ピアノが大活躍する、「ピアノ協奏曲 1番」、「2番(1番ほど演奏機会がない)」 も 2曲ありますが、
ショパンが 私たちに のこしてくれたもの
🎵 ジョルジュ・サンドなど、女性関係でも 結構苦労しているうち、
活躍もしていたけれど、ショパンの体調は徐々に悪化していきました。
ようやく歩いていた状態から 次第に起きられなくなっていったそうです。
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ポーランドの民族音楽からとった 舞曲のリズム「マズルカ」「ポロネーズ」「ワルツ」なども多用。
懇願したそうです。
丁寧に埋められているとか。
この聖十字教会を訪れる足が 現在も途絶えることはなく、ポーランドに生まれ、フランスに没した天才音楽家。
ショパンに想いを馳せてみます。
おそらく 肺結核を長く患っており、それが悪化した、というのが 大方の推測。
🎵 ショパンの名作は 絞り切れないほど たくさんありますね。
その時々の 自分の気持ちを 包み込んでくれる、
まとめ
私も ご質問あれば、わかる範囲で、いくらでも ご紹介したいと思います。
→ ショパンの難曲を弾いてね・・・というのは、
多分 無理です(笑)
🎵 かつて弾いたことあるものは 練習しなおせば
長くなりましたが、今日は ショパンさん・・でした^^
🎵 最後まで ごらんいただき、どうもありがとうございました。
またお会いしましょう! See You !
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