私のハンガリー音楽留学。トンデモ!な経緯と、その後の巻っ!
Contents
よく聞かれること。なぜハンガリーに行ったの?
🎵 こんにちは、どらみです。 (2020.2.3. 別ブログから 記事を引っ越し、修正いたしました。
2021.5.9 記事を微修正いたしました。)
先日、別記事に書いたように、ただいま、複数持っていた(いる)ブログを、この「どらみあん」ひとつにしようという試みをしています。
🎵 音楽、英語、写真、花、wreaths・・いろいろやって生きてきたので、このサイトが「まるごと どらみ(柴垣節子)」、ホントの姿を わかっていただけるようにしたいな~というのが この試みの意図です。
🎵 専門は音楽と語学、、で 仕事してきたので、そちらのブログを 別々に作ってみたけれど、何だか どちらも 無理してやってます感!? を 自分で感じてしまって・・(^^;)
見づらいよ~ わかりにくくてヤダよ~! なんて皆さまに不評だったら、様子を見ながら、カテゴリーの再編成(絞りこみ)するつもりですが、しばらくお付き合いくださいませm(_ _)m
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🎵 私は、日本の音楽大学を卒業後、不思議なご縁でハンガリー文化省・日本ハンガリー友好協会からの初の奨学生のひとりとして、一年間、ハンガリーに音楽留学する機会を得ました。と、書くと、何だか カッコよく聴こえる!?
🎵 なぜ ハンガリーに行くことになったの? よく質問されます(^^;)
奨学金の申し込み用紙をもらいにいった、当時の文部省(文科省)のお役人にまで、
「え? ハンガリー?????」と、少々 アヤシげな目で見られ、
お役所の雑然とした「留学生課」の部屋の中、棚やロッカーをゴソゴソ・・・
提出用の書類(ぺらっとした紙、数枚だけ^^;) を探すのに 、えらく手間取られました(ううう^^;)
🎵 でも、奨学金の面接試験(私は英語で受験)は、かなり倍率高くて、キンチョーしたんですよ~!^^💦💦💦
就職ボツ!と引き換えにめぐってきたチャンス!
🎵 (ほかのところに書いてますが)実は・・・恩師から大学3年次に直々にお話があり、母校中学で教職につくことになっていたのです。 ところが大学4年の夏も終わる頃、学校側の事情で、突然就職がボツ!(*_*;
その日、先生と話した新宿から、どうやって実家へ帰りついたかもよく覚えていないくらい アタマが真っ白!!!!!
🎵 けれど・・・その先生から手渡された、一枚の英文リーフレットが 留学のきっかけになりました。
もちろん自分でも情報集めなど、必死に動きましたが、そこから留学の道が開けたのでした。^^;)そう、就職と引き換えに・・
人生何がどう転ぶかわかりませんね~!
若かった~! こわいもの知らずだから 行かれたのかも・・^^;
🎵 11歳の夏に、国際こども村(C.I.S.V.)という、いろんな国の同い年の子供達が、国籍、宗教、言語、目や肌の色・・全く関係なく、ひと夏、同じ釜の飯を食べる、遊ぶ・・という共同生活に参加する機会をいただきました。
🎵その時は、英語で挨拶さえ できない・・という状態。英語圏の同い年の友達が 英語でリーダーたちと話しているのをみて、いいなぁ~ 話せると 楽しそうだな~! 子ども心にも そう思いました。
🎵 英語のみならず、ドイツ語、フランス語、スペイン語、スウェーデン語、デンマーク語、フィンランド語、オランダ語、日本語。 いろんな言葉が 同じ空間で飛び交っている。
通じない時は、子ども同士で 身振り手振り・・・それで伝わることもあったから、とにかく楽しかった。^^
スウェーデンの田舎町で1ヶ月過ごしたこの経験ゆえか、外国に行くことに抵抗はなかったです。
🎵 けれど当時のハンガリーは 未だ「東欧」「社会主義国」と呼ばれていた国。存命していた父の仕事の「つて」で、現地の商社の方を ひとり紹介していただきましたが、その方とも日本で会う機会はなく・・現地で迎えてくれたのは、商社の社員で英語話すけれどハンガリー人。すべて 初めてのことばかり!
🎵 知り合いもいない、日本人学生も 結局 その年は私ひとりだけ。
そんな環境へ 一人で思い切って飛び込めたのも、こわいもの知らず、若さゆえかもしれませんね!
ハンガリー音楽教育について知っていたのは、大学のテキスト「数行分」だけ ^^;
🎵 私の学んだ 武蔵野音楽大学では、最初の2年間、音楽教育科(ヴァイオリン専攻)に在籍していたこともあり、オルフシューレ、と呼ばれる、ドイツのカール・オルフ(Karl Orff) を中心に考案、実践されていた、音楽教育授業が毎週ありました。
言葉によるリズムや身体表現、打楽器の練習は厳しかったけれど、「オルフ楽器」と呼ばれる、世界の楽器を教育用に改良した美しい音色の楽器のアンサンブルなど、独自の音楽教育は、なかなか楽しいものでした。
(↓ は かつて教えていた生徒さん、生徒さんのご両親にも使ってもらった、オルフ楽器の一部。今は 銀色のメタルフォン(鉄琴)ひとつと小さな打楽器いくつかだけ残して、親友の仕事に使ってもらっています)
🎵 一方、第二次大戦後 中央ヨーロッパの小国となったハンガリーに、「コダーイ・システム」と呼ばれる、すぐれた音楽教育がある、ということは、教科書にも「数行!」載っていて、授業で『知識』として知っていましたが、しょせん それだけ。^^;
↑ レッスン(🎻ヴァイオリン、時々室内楽)で、ハンガリー国立 リスト音楽院(リストアカデミー)へ通っていた時 いつも歩いた、Budapest 西駅から 音楽院へ向かう通り。今は、様子変わってしまっているだろうな~^^;
行ってみたら 音楽教育のレベルが高くて びっくり@@!
🎵 実際に現地へ行き、海外、さまざまな国からの留学生と一緒に学んだ、ハンガリーの音楽教育は、2~3歳の幼児から、徐々に集団生活する保育園、幼稚園、そして小学校以降、ハイスクール・・と、非常に細かく体系立てられていました。
🎵 かつ演奏に関しても優秀な音楽家の先生方が、絶えず 生徒たちの様子を見ながら、45-50分の毎回の授業組み立て方、成果も細かく検証しては、カリキュラム全体の流れも見直す。日々改善を繰り返し、素晴らしい!
🎵 授業レベルの高さ、小さい生徒たちの透き通った綺麗な声。アカペラコーラス。
驚きの連続!
(↓ 写真は バルトーク・アカデミー。リスト音楽院(音楽大学)の前段階、日本でいえば、国立の音楽専門高校といったところ)
🎵 音楽に特に力を入れている学校が全国にあり、普通のカリキュラムと異なって、ほぼ毎日 音楽の授業があります。(就学年齢は日本と同じ6歳。けれど 8年生までが初等教育。)
🎵 音楽に特に力を入れている『音楽小学校 music elementary school』と 『普通小学校 general elementary school』(どちらも、現地、Hungary では彼ら独自名称があります)があり、前者は 週4-6時間 ほぼ毎日音楽授業が組み込まれています。一方、後者は音楽授業の進度 ゆっくり)
↓ 小学校1年生、音楽の教科書。最初からト音記号や5線譜・・使いません。
社会主義国・ベルリンの壁崩壊まで あと8年、という時代背景
🎵 けれど、音楽小学校に進んだからといって、全員がプロ演奏家、音楽家をめざしているわけでもなく、首都Budapest(ブダペシュト s=シュ、と発音)から離れた 地方でも、中央から派遣された 優秀な教師が、普通学校の中から逸材を見出すと、父兄の経済的負担少なく、中央(Budapest)で更に高等教育を受けられるようになっているようでした。
🎵 国が小さく、隅々まで中央の「目」が行き届いていたこと、当時の「東欧」で、優秀な人材を発見、育成し、国際レベルで活躍できる人財は、国外へ出て外貨の稼ぎ手にもなってもらおう、という、お国事情もあったように感じました。
🎵 音楽のみならず、スポーツでも旧東欧諸国は、強かった。
社会主義国家ならではの、国をあげて育成、サポート体制は、当時の日本より進んでいたかもしれません。
🎵1989年、ベルリンの壁崩壊以後、急速に旧ソ連、その傘下にいた東欧諸国は、次々と社会主義から資本主義国家へと、体制を変えていったことは、皆さん よくご存知の通りです。
🎵 私がハンガリーにいた、1980年9月~1981年。社会主義体制で、軍事関連施設は当然のことながら、空港や駅なども 📷禁止区域も多く(✖マークがついていた^^;)、外国人は入国した瞬間から、どこかで見張られている、と聞きました。「西側」「東側」 その国境を越えるのが 当時 どれほど大変なことだったか・・また機会があったら こちらにも書いてみようかな。
🎵 スパイのように、紙幣を靴の底に隠して 国境越える、なんていうこともしていたんですよ~^^; 弱い自国通貨は、当時、隣国へ出るときでさえ、持ち出し制限額(めちゃ少ない!)を超過したら、没収されたんです。(こわかった~^^;)
🎵 ↓(故)Dr.クララ・コーカシュの、音楽心理学授業。座学ではなく、いつも身体全体を使い、日暮れ時でも電気はつけず、暗ければ キャンドルの灯をともして・・という、アメリカ南部、自然豊かな土地で長く生活、教師経験を持つ、彼女のパワフル、かつ人としての優しさあふれる授業は、強烈な印象でした。
1年弱で 日本の音大4年分くらい学んだ 密度の濃い時間
🎵 正直に書くと、私が当初 留学したいと考えていたのは、ハンガリーではなく、USAでした。当時、まだ日本では取得できなかった 音楽療法士(music therapist)の資格を目指そうかな?と 考えていたのです。
🎵 まさか!音楽教育の教科書に 数行書いてあっただけのハンガリーの音楽教育を、自分が 奨学生として 勉強しにいく、などということは 全くアタマの片隅にもありませんでした。ホント、人生って 何がどうなるかわからない~!
でも、行ってみたら・・・その授業内容のレベルの高さに 最初は唖然、ぼー然!
↑ 帰国後、自宅レッスンで 生徒さんたちに使っていた 自作フラッシュカード(リズム。♩、♫、二分音符。それぞれ 手の叩き方、動かし方を決めて、慣れたら 絵がなくても リズムが打てるようになります。^^)
🎵 教えてくれる先生方は 全員ハンガリー人のトップレベル音楽家、音楽教育家。
私が留学した年は、特に人数が少なく、先生方が10名に対して、途中出入りがあっても、学生数の方が ひと桁で少なかった(^^;)
🎵 今、考えれば、なんという贅沢な授業! ほとんど2、3人の小グループレッスンか、個人授業。
レベルの高い課題の宿題が、どの授業からも出されて、遊ぶ時間はないほど勉強しました!
🎵 こんなに音楽に没頭した(せざるを得ない!) 濃〜い1年間は、私の音楽観も人生観も変えるほど 貴重な経験になりました。
🎵 ↑ リスト音楽院の古い廊下に 掲げられていた、当時の「各科・・ピアノ科、指揮科、声楽科・・など、教授陣の写真と名前が入った額。とても古い建物。でも、ガラス、大理石などの床、ピカピカにお掃除してくれてあって 気持ちの引き締まる空間でした。ホールもすごいっ!
ハンガリー留学から帰国後はどうしたの?
🎵 帰国後・・・留学前から お世話になっていたT先生が、某私立学校の課外教室でハンガリーの音楽教育を 実践しておられて、すぐに見学に行きました。
🎵 帰国数日後だったので、今も はっきり覚えていますが・・・
ハンガリーで うまくいっている音楽教育を 何から何まで そのまま使うのは、ちょっと無理があるなぁ~ というのが、失礼ながら 私の印象でした。
🎵 当時、社会主義体制最後の時代だったハンガリーと、いわゆる「西側」に属し、ありとあらゆるジャンルの音楽が 氾濫している日本。
🎵 その中で、日本の「わらべうた」だけを 題材にした授業は、ハンガリーでずっと見聴きしてきた 子どもたちの様子とくらべても、
私の眼には、少々「無理やりやっている感」が 垣間見えてしまって、何だか 心から楽しんでいるように見えず・・。
🎵 その授業担当していた T先生のアシスタントになれたのかもしれないけれど、私は T先生とは別な道を行こう・・と思いました。生意気だったな~(^^;)
🎵 ↑ Budapest で 超有名な! 国会議事堂の建物。 後年、家族で再訪した時の、もう少しよい写真あるのですが、古~い方を(^^;)
🎵 帰国した夏休み。勉強してきたことの国際シンポジウムが、日本、札幌で開催されました。ハンガリーにいる時からわかっていたことで、私は⇓ の写真、クララコーカシュに頼まれ、彼女の生徒さんたちと泊まり込み撮影にまで行って作った🎥ビデオテープを抱えて札幌に飛びました。
🎵 ところが・・何と、ハンガリーと日本の電気、周波数事情の違いで再生不能。私が依頼されていた プレゼン、ここでできなくなりました(TT)→ 主催者の教授と この件でケンカしちゃったり。💦💦💦
🎵 ボランティアで 海外の先生方のお世話、いくつかの授業やスピーチの通訳要員の一人として、2週間も札幌にいましたが・・観光するヒマなかった(^^;) ロンドンへ帰る女性の先生を成田までお送りして シンポジウムの仕事は終わり。
自分の教室を開き、生徒さんたちに「いいとこ取り」して自分のレッスンを作る
🎵 東京で、音楽というより、英語を使った仕事をしながらも いつも音楽のことを考えていました。
でも、当時の日本の公立学校にも、ハンガリーの音楽教育システムを、そのまま取り入れるのは、すぐにはムリ、、と判断。
じゃあ どうしようか?
↑ 四分音符 ♩ を教える前に 使う ta, ta, ta, ta と手をたたきながら、rhythm(リズム)を覚える、フラッシュカードの一例。
🎵 結婚前、結婚後、私は実家や自宅で、近くの生徒さんを教えていました。
🎵 年齢もまちまちだけれど・・・自分の息子たちと 同い年の生徒さんが 一度に何人も来てくれた時は、この「真っ白なキャンバス」のような子どもたちに、
楽しくのびのびと 音楽を楽しんでもらえるようにしたい!
🎵 そのために、自分が 今まで学んできたことを、彼ら、彼女たちに合わせて、臨機応変にアレンジして、レッスンに使おう、と決心。
🎵 でもね、小さい子どもたちが、ひとつのことに集中していられる時間は とても短いんです。
🎵 ピアノを習いたい、ヴァイオリンを習いたい、と 来宅されても、親御さんともとことん話をします。
楽器レッスンに集中できるまでの初期段階は特に、音楽の基礎体力というべき、力を総合的に 自然に身につけていくことが大切と・・納得していただける方たちを教えてきました。
🎵 聴く、歌う、読み、書き、打楽器も含め、いろいろなメニューを用意して、小さな子どもたちが飽きないようにレッスンを組み立てる。様子をみながら、その場で、内容、順序を臨機応変に変えてみたり、学んだことを実践に応用していきました。
まとめ
🎵 私が 長年、自分の生徒さんたちに、試行錯誤しながらも、レッスンに使ってきた さまざまなアイデアや、身近にあるもので すぐ作れる小道具など・・・
このブログの 音楽教育カテゴリーで、いろいろ公開していこうと思っています。
↓ rhythm(リズム)の 手作りフラッシュカード(たーくさん作ってます^^;) 休符(お休み)を 小さい子どもたちにわかってもらえるように、絵もいろいろ・・・これは 休符のところで、🍌がお皿からなくなってるでしょう? 誰かさんが 食べちゃったのかな? などと話をしながら 休符(四分休符)の動作を 一緒にします。^^
🎵 今、現役で 教えておられる個人教室の先生方や、音楽愛好家の方。
生徒さんだけでなく、ご自分自身も・・
音楽の読み書き、聴きとりから、より高度で身に着けると、ほかのことにも応用のきくワザなど。
もしかしたら、まだ経験がなく、試してみたいな・・という小さなアイディアが見つかるかもしれません。
🎵 音楽、語学もふくめ、私のアタマと心の中にあるもの、「これから!」の方に、少しでも お役に立てたら 幸せです^^♪
🎵 最後まで、長文にお付き合いいただき、どうもありがとうございました。SEE YOU! 💗✨
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