障がいを持つ方たちと音楽の可能性・・の巻っ!
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障がいのある方たちと 音楽家どらみの出会い
🎵 こんにちは、どらみです!
🎵 今日のお題は「障がいのある方たちと、音楽」です。
🎵 突然何?
どらみ、どうした?
そんな声も聞こえてきそうですが、実は ずーっと以前から
いつも 私のアタマの片隅で考えていることのひとつです。
🎵 2021年。2020年から1年余り経過した今も、世界中、新型コロナのパンデミックで
世の中、激変しました。
🎵 音楽(ジャンルにかかわらず)も、「三密」を避ける、飛沫・・など 諸問題山積で、
以前投稿した、「生の音楽を 手のつなげそうな近くで お届けする」=生演奏、コンサート、
ライブ・・・人が集まるイベント、企画が激減。
🎵 チャリティコンサート(子ども食堂支援など)、毎年依頼されていた 本番演奏も中止、
無期延期・・・で、🎻練習も ひとりでは身が入らず、
もう このままリタイアしてしまおうか? と 本気で考えたり、
一方で、いや、この状況でも 音楽ができること=可能性を考えて、
自分にできることを 探りながら、小さくても 喜んでいただけるなら続けようか?
🎵 本番練習に追われない分、今まで経験したのに 忘れかけていたことに目を向けたり・・・
その中のひとつが、「障がいのある方たちに、音楽は 何ができるか? 私にも何かできるか?」
でした。 都区内往復する 電車内で、ずーっと考えていたこと、書いてみますね。
🎵 突然ですが、みなさんのご家族や周囲に、何か障がいをもっている方、いらっしゃいますか?
🎵 障がい、といっても、生まれつき(先天性)の障がいもあれば、
人生の道半ば、
思わぬ形で 障がい者になることもありますよね。
🎵 私の親しい友人、お子さんにも、両方のタイプ、それも さまざまな障がいを持った
方たちが たくさん。
🎵 ひとりひとり 抱えているものも 全て違うけれど、
障がいがあっても、そのほかに がんなど、複数の病気を抱えていても、
いきいきと 自然な笑顔さえたたえて 生きている友人の姿をみると、
すごいな~! 素敵だな~!年齢性別関係なく尊敬。 彼ら、彼女たち、まぶしいです!✨
🎵 闘病記出版がご縁で まずネット上で友達になった彼は九州在住の、アスリート。
4人のりカヌー高校全国2位という輝かしい記録を打ち立てた後、
高校3年で、ごく稀な脳腫瘍(脳のがん)が見つかり・・・。
3度の再発を乗り越えて、
今は 車いす生活ながら 自立して 仕事しながら、
パラスポーツの審判や、パラスポーツをもっと広げようという活動をしています。
🎵 2008年春、私も すっかり元気になり、英会話仕事、演奏活動に忙しくなっていた頃。
合間をぬって、九州まで 夫と二人、彼に会いに行きました。
🎵 車いすだけど、おいしい魚の食べられる 車いすでも利用できるお店を予約しておいてくれたし、
彼の障がい専用に 内部を改造してもらった 🚙普通乗用車も自分で運転するんです。
🎵 スーパーの買い物も車いすで。
高い棚のものなどは、手が届かないので、
もう今は 遠慮せず、お店のスタッフにお願いして 取ってもらい、膝の上のカゴに
入れて レジでお会計。私からみたら 本当にすごいです!
🎵 彼は車いすマラソン(10㎞)を病後に完走したこともある人で、もちろん車いす、
自力で何でもできるのですが、
この時、街中でお店までの往復、彼の車いすを押す手伝いをさせてもらいました。
🎵 普通なら、まったく気にならないくらいの、わずかな歩道の段差が 車いすにはつらい。
踏切の線路に 絶対車いすの車輪を挟まないように、線路手前で 車輪の角度を
しっかり調整してから 余裕を持って あわてず渡れるようにする。
実際に車いすに乗ったり、一緒に歩いてみなければわからないことばかり。
🎵 彼からは 大切なことを教えてもらいました。
🎵 「障害者」って、 ぼくたちは 確かに
不便なことを抱えているけれど、 社会の「害」には なっていないですよね?
🎵 彼の話を聞いて、私のこの時から、彼のように
「障がい」と、ひらがなを使うようになりました。
重度障がい者 施設訪問の衝撃!
🎵 入団して数年目。
ある時、団に訪問演奏していただけないだろうか? オファーがありました。 訪問先は ヨコハマ南部の某施設。
そこでは、生まれつき「見えない、聞こえない。→ それゆえ、話すことも難しい」
ヘレンケラーのような、重度障がいのお子さんたち(かなり大きい高校生くらいの方も)が、
常に安全に過ごせるように、スタッフと一緒に生活しているのでした。
🎵 訪問演奏の🎻室内合奏団20名くらいが来る、というので、当日は 親ごさんでしょうか、
それぞれ 障がいのあるお子さんたちに ぴったり寄り添う、保護者の皆さんも一緒でした。
🎵 何曲か演奏した後、所長さんが、親ごさんたちに声をかけました。
そうすると、彼ら、彼女らは、保護者たちに付き添われて、
私たちが演奏する ステージに上がってきたのです。
そして、所長さんの指示で、保護者と一緒に、
私たち ひとりひとり、🎻各奏者の すぐ傍らで
次の曲から のこり数曲の小品、合奏を聴いてもらうことになりました。
演奏が終わって、すぐ傍らに顔を向けると・・・。
見えないはずの閉じた目から、彼女の頬に伝う涙・・・正直、驚きました。
ほかの席の傍らでも、同じように涙を流している姿が あちらにも、こちらにも。
🎵 当時の私には なぜ 見えない、聞こえない彼らが涙するのか、
その理由がわかりませんでした。
🎵 「彼らは、演奏者のすぐ傍らにいることで、音楽を『振動』として感じているのです。
涙は彼らが 感動している証なんですよ」
私が入団する10年以上前から、都内や神奈川県内の有名なホールなどで 定期演奏会など
を地道に積み重ね、ゲスト奏者、指揮者も招いて 演奏実績も長い団と伺っていました。
🎵 当時、新米ママでもあった私は、子育て真っ盛り。
🎻練習時間の確保も 必死でやっと・・という状態。
🎵 それでも、立派できれいな 有名ホールでの定期演奏に参加。
音楽関係者が多いから、辛口の感想も多い。
そういうコンサート、演奏活動も 自分たちの勉強になるし良いことだと思うけれど・・・
🎵 この重度障がいをもつかたたちの 「振動で音楽を感じる」 という 初めての経験を通して、
音楽のもつ可能性、 音楽って やっぱり素晴らしいな、と 心底そう思ったんです。💗
🎵 この経験は 一生忘れない。 試験やよい成績、よい評判を目標にする音楽より、
目の前の「誰か ひとりにでも 喜んでもらえる、 感動してもらえる音楽」
私には、 その方が向いているんじゃないか?
自分の音楽活動の方向性が垣間見えた瞬間でした。
貴重な経験をさせていただいたと 感謝しています。
頬を伝う涙が 私に教えてくれたこと
🎵 それから数年後。
まさか 自分が生きるか死ぬか?
みじんも予想できなかったけれど。。
生きたくても 生きられなかった方の無念さ。
なぜ私は助かって、あのすばらしい人が先に逝ってしまったのか?
ちっぽけな存在に見える自分に 何ができるのか?
いつも 頭の隅に その問いがあります。
🎵 自問しつつ、「今」できることを、心こめて 精いっぱいする。
そうありたい、と 思っています。
(えらそーに 見えたら ごめんなさい!m(_ _)m)
🎵 生まれつき 全盲だけれど 素晴らしいピアニスト、辻井伸行氏。
途中で、脳梗塞に倒れ、右半身不随から 懸命なリハビリ、息子さんや友人作曲家の協力もあり、
「左手のピアニスト」としても活躍を続ける 館野泉氏。
バイオリニストのイツァーク・パールマン🎻も 車いす。
🎵2020年に生誕250年を迎えた L.V.Beethovenは、32歳の時、ほぼ完全に聴力を失いながら、 以後、彼は、脳内に音を鳴らしながら、以前より深みを増し、後世に受け継がれる、素晴らしい作品を生み出しました。
🎵 障がいがあろうが なかろうが・・・
病気持ちであろうが なかろうが・・・
特別扱いしたり、気の毒、かわいそう・・という憐憫(れんびん=あわれみ)の情で
接しない。
車いすであろうが、義手、義足使っていようが、みんな同じ地球🌎の住人。
みんなが ごく普通に 自然につきあえる、生きられる社会であってほしい・・
心から そう願い、ささやかでも 自分にできることを していくつもりです。
🎵 最後まで 長文にお付き合いいただき 本当にありがとうございました。
感謝💗 See you ! どらみ
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